文学論ノート

長谷部さかな 著

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則天去私の文学論ノート
   2017/8/4 (金) 08:30 by Sakana No.20170804083057

「文学論ノート」その一 

  則天去私の文学論ノート

 いかなる存念なるや、われながらよくわからないところもありま
すが、とりあえず見切り発車で、夏目漱石幻の論文といわれる『則
天去私の文学論』の資料収集をはじめることにしました。参考にす
るのは、村岡進編『漱石資料ー文学論ノート』(岩波書店)です。
 これは東北大学付属図書館で未整理のままになっていた漱石文庫
所蔵の漱石資料を村岡氏が整理した労作です。『文学論』はこれら
の資料にもとづいて構築されたと推測されています。『文学論ノー
ト』の延長戦上に『文学論』があるとはいえませんが、『文学論ノ
ート』なくして『文学論』はありえないとはいえるでしょう。
 それなら、幻の論文『則天去私の文学論』にも幻の資料がなけれ
ばなりませんが、それらしきものは『夏目漱石文学全集』には見あ
たりません。漱石の脳内にぼんやりと構想らしきものがあっただけ
のようです。
 とすれば、幻の論文『則天去私の文学論』に関しては、読者がそ
れらしき資料を自分で集めるしかないーーそう思って、私は自分だ
けの思いつきで沙翁の歴史劇(英国篇)やW・ジェームズの哲学論
文『多元的宇宙』(米国篇)を読み、断面的文学である俳諧狂句の
作品例の収集(日本篇)や天に関する孔孟老荘の箴言を収集(中国
篇)することにしたのです。もしかすると、『則天去私の文学論』
に役立つかもしれないし、根本的に文学とはいかなるものぞという
漱石の問いへの答が見つかるかもしれないと思ったからです。
 村岡進編『漱石資料ー文学論ノート』の中には「人生論覚え書き」
があり、次のように記されています。

  「生命の概念、生命の起源に関する諸説。生理学的に見た生命。
生の目的は生そのもの。いかに生きるべきかの問題は第二義的な目
的。いかに生きるべきかの問題を解決すると、関心の分化がはじま
る。労働と自然の恵みとが平衡関係にあるときは、いかに生きるべ
きかの問題は生じない。労働が余剰生産をもたらすときはじめてい
かに生きるべきかの問題がは生ずる。そして、生の分化がここには
じまる。その実例、富の蓄積より関心の分化が生ずる一方、社会は
実際的な関心において複雑に分岐する。そして道徳は衝動的道徳、
普通の道徳、一般原理の道徳に分化する」。

 これを読むと、漱石は「根本的に文学とは如何なるものぞ」とい
う問いとともに、「根本的に人生とは如何なるものぞ」という問い
をかかえていたことがわかります。おそらく漱石の意識内では文学
と人生が分かちがたく結びついていたのではないかと思われます。
 そういえば、「則天去私」という四文字熟語の言葉には文学論と
いうより人生論のひびきがあります。漱石が五十年にみたない人生
において「いかにして生くべきか」を考え続け、晩年になってよう
やく到達した人生観が「則天去私」だと思います。
 それは、「人生論覚え書き」によれば、第二義的な目的です。そ
れに対して第一義的な人生の目的は生そのものです。明治四十年に
東京美術学校で行った講演『文芸の哲学的基礎』で述べた表現によ
れば、「吾々は生きたいと云う念々(ねんねん)に支配せられてお
ります」。
 漱石が永眠したのは大正五年一二月九日です。息を引き取る前に、
漱石は、寝間着の胸をはだけながら「ここへ水をかけてくれ。死ぬ
と困るから」と叫んだそうです(夏目鏡子述『漱石の思い出』)。
これは第一義的な人生の目的である生そのものの叫びでしょう。一
方、娘婿の松岡譲らに「もう一度大学の講壇に立って新しい則天去
私の文学論を講じてみたい」と言ったのは、第二義的な人生の目的
からだと思います。
 そのことは、『文学論ノート』「人生論覚え書き」で、「生の目
的は生そのもの。いかに生きるべきかの問題は第二義的な目的。い
かに生きるべきかの問題を解決すると、関心の分化がはじまる」と
いう記述からも裏付けられると思います。
  それに関連して講演『文芸の哲学的基礎』の前半で述べた内容の
総括(そうかつ)が参考になるかもしれないので付記しておきます。

 (一)吾々は生きたいと云う念々(ねんねん)に支配せ
   られております。意識の方から云うと、意識には
   連続的傾向がある。
 (二)この傾向が選択(せんたく)を生ずる。
 (三)選択が理想を孕(はら)む。
 (四)次にこの理想を実現して意識が特殊なる連続的方
    向を取る。
 (五)その結果として意識が分化する、明暸(めいりょ
   う)になる、統一せられる。
 (六)一定の関係を統一して時間に客観的存在を与える。
 (七)一定の関係を統一して空間に客観的存在を与える。
 (八)時間、空間を有意義ならしむるために数を抽象して
   これを使用する。
 (九)時間内に起る一定の連続を統一して因果(いんが)
    の名を附して、因果の法則を抽象する。
                  (2017.08.03 H.Sakana記)


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