ほくしん文芸クラブ
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現代日本の開化
   2012/5/19 (土) 07:43 by Sakana No.20120519074312

05月19日

「漱石先生が明治44年に和歌山で講演した
『現代日本の開化』の内容を則天去私の観点
から考えてみたいと思います」
「現代日本の開化は内発的なものではなく、
黒船来航以来の外部の圧迫による外発的なも
のだと漱石は指摘した。それが則天去私とど
ういう関係があるのか」
「日本と違って、イギリスの開化は内発的な
ものです。その開化の土台にはゴールドスミ
スの『ウェイクフィールドの牧師』のような
則天去私の文学があります」
「キリシタンおそるべしか。しかし、漱石は
内村鑑三のように基督信徒にはなろうとしな
かった」
「漱石先生には左国史漢の土台があり、禅に
も惹かれています。それが漱石先生の内発的
な則天去私の悟達に導いたのです」
「だが、漱石は日本の将来というものについ
て悲観している。彼のような知識人がマイナ
ス思考では困る。どうすればよいのか」
「出来るだけ神経衰弱にかからない程度にお
いて、内発的に変化して行くが好かろうとい
うような体裁の好いことを言うより外に仕方
がないと、言っておられます」
「もしかすると、漱石は神経衰弱の隠れキリ
シタンだったのではないか」


ハッピーエンド
   2012/5/16 (水) 06:58 by Sakana No.20120516065810

05月16日

「ゴールドスミス『ウェイクフィールドの牧
師』を読了し、結末がハッピーエンドになっ
いるのに驚きました」
「驚くことはない」
「漱石先生がもっとも「則天去私」的な作品
とされた『ウェイクフィールドの牧師』がハ
ッピーエンドとは意外です」
「ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』
だってハッピーエンドだ」
「江藤淳は『高慢と偏見』や『ウェイクフィ
ールドの牧師』から「則天去私」の悟達を導
き出すことに疑問を抱き、小宮豊隆の「則天
去私」神話を批判しました。しかし、私が読
んだ印象を申し上げますと、この牧師の生き
方は広い意味で「則天去私」的だと思います」
「キリスト教の牧師の生き方に「則天去私」
という用語をあてはめるのはおかしい」
「天=神、と考えれば、おかしくありません。
少なくとも、牧師は私を去り、神への信仰に
基づいた正しい行動をしています」
「漱石はキリスト教徒ではなかった。天=神、
だとは言っていない」
「だから広い意味での「則天去私」です」
「牧師の行動を具体的に説明せよ」
「妻と六人の子供(息子が四人、娘が二人)
がいます。全財産を委託していた商人が破産
したため、長男の結婚がご破算になり、長男
は自立の道を求めて、家を出る。長女は地主
にだまされて、棄てられる。家は火事で焼け
る。地主は滞納していた地代を払えと牧師に
迫り、払えないというと投獄してしまう。長
男も投獄され、次女は誘拐される──という
悲惨な目にあいますが、牧師の信仰はゆるぎ
ません」
「どんな風に?」
「たとえば、牧師は次のように言います。
<たいていの人は人生を旅にたとえて、自分
は旅人だと考えるように教えられている」
「芭蕉曰く、月日は百代の過客にして行かふ
年も又旅人也」
「この喩(たと)についての牧師の解釈は芭
蕉とは違います。<つまり、善人はわが家を
めざしていく旅人のように明るく朗らかだが、
悪人は世界から追放された旅人のように、ご
くたまに幸せになれるに過ぎない>」
「なんだ、勧善懲悪の思想か?」
「ええ、その通り、『ウェイクフィールドの
牧師』の物語はハッピーエンドで終わります」
「漱石の『明暗』もそんな終わりかたをする
のかな?。津田をはじめ『明暗』の登場人物
はすべて、牧師のような宗教心を持っていな
いが」





ウェイクフィールドの牧師
   2012/5/13 (日) 07:28 by Sakana No.20120513072819

05月13日

「ゴールドスミス『ウェイクフィールドの牧
師』(小野寺健訳)を読みはじめました」
「ジェーン・オーステン『高慢と偏見』とと
もに則天去私の文学とされている。今ごろ読
むのは遅すぎる」
「十八世紀の英国の小説です(1766年刊)。急
いで読むこともないでしょう」
「そもそも小説は急いで読む必要がない不要
不急ものではあるが」
「ーむだばなしーという副題がついています
ね。そして、作者のことばとして、<この作
品には百の欠陥がある>と断っています。
<そこで百のことばを費やして、その欠陥が
長所であることを証明するということも考え
られなくはないが、それはむだである。本と
いうものには、無数の欠点があるにもかかわ
らずおもしろい場合もあれば、一つもあやま
ちがないのに退屈きわまるという場合もある
のだ>」
「なるほど、則天去私だ」
「則天去私のむだばなしです。百の欠陥があ
ります。それにもかかわらずおもしろい小説
かもしれません」
「そんな十八世紀の英国の小説を二十一世紀
の日本人が文庫本で読める環境というのも則
天去私の賜物といえそうだ」


則天去私の文学
   2012/5/10 (木) 07:39 by Sakana No.20120510073912

05月10日

「『明暗』なんぞはそんな(則天去私の)態
度で書いている。近いうちにこういう態度で
もって、新しい本当の文学論を大学あたりで
講じてみたい・・と漱石先生は言われたこと
については、何人かの研究者が論文を発表し
ているようですが、帯に短し、襷に長しで、
決定的に説得力のある説はなさそうです」
「『明暗』のほかに、則天去私的な作品には
何があるのだろう」
「松岡譲によれば、ジェイン・オーステンの
『高慢と偏見』やゴールド・スミスの『ウェ
イクフィールドの牧師』を漱石先生はをあげ
ておられたそうです」
「わけがわからん」
「江藤淳は、その事実をあげて、小宮豊隆の
則天去私神話を批判しています。『高慢と偏
見』や『ウェークフィールドの牧師』から
則天去私の悟達を導き出すのはまず無理なこ
とでしょうから」
「うん。『高慢と偏見』が則天去私の文学な
ら、谷崎潤一郎の『細雪』などもその資格が
があると思う。女ばかり五姉妹のベネット家
は四姉妹の蒔岡家に似ている」
「谷崎潤一郎は『明暗』を高く評価していな
いところをみると、則天去私の文学として認
めていなかったのではないでしょうか」
「すると、『明暗』は則天去私の文学ではな
いが、『細雪』は『高慢と偏見』などととも
に則天去私の文学だというマズイことになる」
「困りましたね」


十三人のやさしい知識人
   2012/5/6 (日) 09:05 by Sakana No.20120506090543

05月07日

「次の十三人は日本の知識人です。共通点は何
でしょう。

  正宗白鳥 (1879-1962)
  谷崎潤一郎(1886-1965)
  小宮豊隆(1884-1966)  
  内田百閨i1889-1971)
  松岡譲(1891-1969)
  岡潔(1901-1978)
  小津安二郎(1903-1963)
  大岡昇平 (1909-1988)
  吉本隆明 (1924-2012)
  丸谷才一 (1925-)
  山田風太郎1922-2001)
  江藤淳   (1932-1999)」
  水村美苗(1951-)

「漱石作品についての意見や感想を発表して
いる。みんな漱石の熱心な読者だった」
「二十歳になるまでに漱石先生の作品をほと
んど読んでいるようですね」
「それが知識人の条件だ。高齢者になってか
ら全作品を読了したからといって偉そうな顔
をしてはいけない」
「それにしても不思議なのは、『明暗』の評
価や『明暗』の結末の憶測に関してはそれぞ
れに違う結論を出していることです。なぜ知
識人の間で差異が生じるのでしょう?」
「知識人の言論はDNAや環境によって違っ
てくる。百鬼夜行──それが人間の面白いと
ころ、まさに『明暗』の世界だ」
「そういえば、小宮豊隆は<『明暗』は[私]
の塊りの角突き合いとして、百鬼夜行のよう
な人生の姿を、克明に浮彫にして見せようと
るものであった>と書いています。




吉本隆明の憶測
   2012/5/3 (木) 06:47 by Sakana No.20120503064759

05月04日

「ついでに『明暗』の結末についての吉本隆
明の憶測もご紹介しておきます。<抽象的な
言い方で二つしかいえないだろうとおもいま
す>だそうです」
「快刀乱麻で断定しないで、二通りの結末を
示すとは吉本隆明らしくない」
「『夏目漱石を読む』は2002年刊、人柄がま
るくなった晩年の著ですから、言論界の天下
をとろうとしていた『美にとって言語とはな
にか』の頃とはちがいます」
「ではその二通りの憶測を紹介してくれ」
「破局説と平穏説のどちらかです」
「そう言っておけば、どちらかになるから、
はずれっこない」
「破局説は吉川夫人と小林という二人の悪魔
的な、あるいはたいへん強烈な意志力が、大
きな役割で出てくるとすれば、たぶん津田と
お延の運命は、相当破局的なところへ行くと
いうものです」
「平穏無事説は?
「反対に、吉川夫人と小林の意志力とか、登
場人物に及ぼす影響を漱石が縮めて、吉川夫
人や小林を罰して、というふうに作者が考え
たとすれば、この役割はだんだん小さくして
いくだろう。そうなれば、たぶん、紆余曲折
はあっても、津田とお延は、またのどかで、
平凡で、楽しげな生活に戻っていくみたいな
結末になるだろうというのです」
「すると、漱石がどんなつもりで吉川夫人と
小林を『明暗』に登場させたか、その魂胆が
カギということになる」
「漱石先生はどんなつもりだったのでしょう
ね」
「雑司ヶ谷墓地に墓参りして聞いてきなさい」


大岡昇平の憶測
   2012/5/1 (火) 14:47 by Sakana No.20120501144729

05月01日

「『明暗』の結末について、こんどは大岡昇
平の憶測をチェックしました。『小説家夏目
漱石』には「明暗の結末について」という一
章があります」
「大岡はフランス文学を専攻したのに、英文
学者漱石をよく読んでいる」
「お延がその勝気と策略にも拘らず、作者に
愛されている人物で、死ぬようには思われな
い。ここで誰か死ぬとしたら、それはむしろ
清子というのが大岡昇平の憶測です」
「その根拠は?」
「清子が温泉宿の深夜の廊下に津田を見て立
ち止まった様子は<一幅の絵>で、彼は忘れ
る事の出来ない印象の一つとして、それを後
々迄自分の心に伝へた、という描写です」
「なるほど、<後々迄>があるというのが漱
石の構想だったとすれば、津田が温泉宿で死
ぬ可能性は薄い」
「清子はもともと療養のために温泉宿に泊ま
っているほどの病身ですから、死んでもおか
しくありません」
「お延が清子の存在を確認してショックのあ
まり、自殺する可能性もある」
「二人とも死んで、津田が<一幅の絵>だけ
を後々迄忘れなかったというのではお延があ
まりにもあわれですね」
「もう<一幅の絵>を津田の心に印象づけて
から死ねばよい」
「あ、そうか。<一幅の絵>の明暗双々とい
う構想だったのかもしれませんね」


『明暗』の結末
   2012/4/28 (土) 08:50 by Sakana No.20120428085032

04月28日

「未完の小説『明暗』の結末について江藤淳
は次のような憶測を述べています。
 
  津田は清子によって救われようとして湯
 治場に出かける。が、彼は「平生の彼に似
 合わない「這口(やりくち)」で、「医者に
 相談して転地を禁じられでもすると、却っ
 て神経を悩ます丈が損だと打算し」て軽率
 にも再発の危険を冒して出かけるのである。
 彼は清子に逢うが(そこまでで『明暗』は
 中絶されている)。救済されるどころかし
 たたか攻撃され、──あたかもお秀にそう
 されたように──宿痾(しゅくあ)を発し
 て死ぬ。・・・・・・彼の経験するのは和
 解ではなくて闘争であり、勝利者は清子、
 ──ある意味では、お延──である。この
 ような結末によってのみ、以上に述べて来
 た『明暗』の世界は、破綻から免れ得る。
 こうした想像をめぐらす方が、作者にとっ
 てはむしろ名誉なのではないか。あるいは
 小宮氏らのいうように、津田は救われ、お
 延は死ぬかもしれぬ。しかし「則天去私」
 が漱石にとっていかに真剣な趣味であった
 にせよ、作者があれほどに情熱を傾けて描
 いた「我執」の女達をこのような惨憺たる
 結末の中に捨て去ることが出来るであろう
 か?」

「小宮豊隆の憶測では、津田がベアトリーチ
ェのような理想の女性、清子によって救われ
ることになっているが、江藤淳の憶測では清
子はベアトリーチェのような理想の女性では
ない。津田は救われないまま、宿痾(しゅく
あ)を発して、死ぬか。なるほど、それはあ
り得る」
「私も津田が病死する可能性は高いと憶測し
ています」、
「江藤淳の説に賛成か」
「でも、<小宮氏らのいうように、津田は救
われ、お延は死ぬかもしれぬ>と書いていま
すが、お延が死ぬとは小宮豊隆は書いていま
せん」
「津田が清子によって救われたら、完全な愛
を求める妻のお延はどうすれないいのだ。生
きてはいられない」
「水村美苗『続明暗』はお延は入水自殺をし
ようとして未遂、という結末になっています。
津田は死んではいません」
「いずれにしても憶測にすぎない。憶測は憶
測を生む」



清子はベアトリーチェか?
   2012/4/25 (水) 06:20 by Sakana No.20120425062027

04月25日

「小宮豊隆『夏目漱石』を読みました」
「江藤淳が指摘しているように、<『明暗』
は「則天去私」を体現した作品である>とい
う小宮豊隆の主張はウラがとれたのか」
「いいえ、私が調べたかぎりでは、小宮豊隆
はそんな主張はしていません」
「では、江藤淳は「則天去私」神話説をでっ
ちあげて小宮豊隆を陥れたというのか」
「でっちあげとまでいえるかどうかわかりま
せんが、明確に表現されたものを尊重するの
が作者への礼儀だとすれば、正確な引用をし
なかったことで、作者小宮豊隆への礼儀を尊
重しなかったとはいえると思います」
「しかし、火のないところに煙はたたない。
小宮豊隆の文章にも誤解を招くような表現が
あったのではないか」
「そういえば、奇妙な記述があります。
<「清子」という名前と、清子が温泉場の一
室で津田に示す、自然で天真で、包み隠しの
ない清らかな態度とを考え合せる時、漱石が
清子において描き出そうとした女性が、漱石
の理想の女性、例えばダンテにおけるベアト
リーチェのようなものではなかったかと、想
像されなくもないのである。しかしそれが
『明暗』の津田にとって、ファウストにおけ
る聖母のようなものになるはずであったのか
どうか、その辺になると、まるで想像の手が
かりがない。我々はただ未完結の『明暗』を
抱いて、勝手な憶測を試みているより仕方が
ないのである>と」
「ははあ、すると『明暗』はダンテ『神曲』
やゲーテ『ファウスト』に匹敵する古典文学
ということになる」
「清子をベアトリーチェとみなすのは私でも
おかしいと思いますが、まあ、<勝手な憶測>
と断っているのですから、主張ではないし、
則天去私神話をひろめているとまではいえな
いでしょう」
「たしかに、憶測と主張は違うが、小宮豊隆
はどこか他のところで「則天去私」神話をひ
ろめる言説をしているかもしれない」
「わかりました。その点を念頭において小宮
豊隆『夏目漱石』を読み直すことにします」



「則天去私」神話
   2012/4/22 (日) 08:59 by Sakana No.20120422085914

04月22日

「江藤淳『夏目漱石』の第一章は 漱石神話
と「則天去私」についてです」
「漱石神話とは?」
「江藤淳によれば、その最も代表的なものは
「則天去私」神話です」
「その神話をひろめたのは誰だ?」
「最も熱心な「則天去私」の祖述者の一人は
小宮豊隆です。『明暗』は「則天去私」を体
現した作品であると主張するのは小宮豊隆氏
であると江藤淳は指摘しています」
「『明暗』を読んでも「則天去私」という文
字はどこにもない。ほんとうに小宮豊隆はそ
んな主張をしているのか?」
「そのウラをとるには、小宮豊隆『夏目漱石』
を読まなければなりません」
「きみは高等遊民とはいえないが、中等遊民
か下等遊民の資格はあるから、読むヒマはあ
るだろう」
「わかりました。次回までに読んでおきます」


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