則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』

長谷部さかな 著

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『俳諧狂句』第四類 感覚F(空間)まとめ
   2017/9/24 (日) 10:45 by Sakana No.20170924104525

『俳諧狂句』まとめ 2017年8月

『俳諧狂句』第四類 感覚F(空間) 

荒海や佐渡に横たふ天の川         芭蕉
鷹一つ見付けてうれしいらご崎          芭蕉
菜の花や月は東に日は西に         蕪村
五月雨や大河を前に家二軒         蕪村
起きて見つ寝て見つ部屋の広さかな     千代女(?)
是がまあ終(つひ)の住み処(か)か雪五尺 一茶
鶏頭の十四五本もありぬべし             子規
遠山に日のあたりたる枯野かな       虚子
大仏が立つと五畿内一と目なり       剣花坊
空たり間たり天然居士、噫          漱石

 感覚Fの時間篇に続き、空間篇の十句をそ
ろえてみた。自分は、今、どこにいて、時間
と空間をどのように感覚し、どのように言葉
で表現するかが問題である。時間と空間は、
あると思えばあるし、ないと思えばない。そ
の実体は天然居士でもわからない。
         (『俳諧狂句』第一部了。
           第二部以降は未定)


空たり間たり天然居士
   2017/9/24 (日) 10:40 by Sakana No.20170924104004

8月29日

・空たり間たり天然居士、噫    漱石

 俳諧狂句のつもりで詠んだのではなく、苦
沙弥先生が親友の曽呂崎こと天然居士のため
に撰した墓碑銘だが、『吾輩は猫である』で
は、「天然居士は空間を研究し、論語を読み、
焼芋を食い、鼻汁を垂らす人である」が原型。
「空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空
たり間たり天然居士、噫」と推敲し、さらに
縮めて、俳諧狂句の形式に近づいてきた。
「なるほど、こりゃあ、いい。天然居士相当
のところだ」と、迷亭も賛成している。天然
居士は、『猫』では曽呂崎という名前になっ
ているが、米山保三郎というモデルがある。
建築家になるつもりでいた漱石に文学を専攻
するようすすめたのは空間居士こと米山保三
郎だったと伝えられている。


大仏
   2017/9/24 (日) 10:31 by Sakana No.20170924103150

8月26日

・大仏が立つと五畿内一と目なり 井上剣花坊

 奈良の大仏は中学生の頃、はじめて見た。
座像だが、非常に大きく見えた。立つと、五
畿内が一と目なり、と言われても信じたにち
がいない。もっとも、当時の私には五畿内と
いう地名がどこかがわからなかった。
 五畿内とは、山城国(京都市以南)、大和
国(奈良県)、河内国(大阪府東部)、和泉
国(大阪府南西部)、摂津国(大阪府北中部
および兵庫県神戸市須磨区)だそうだ。
 大仏の座高は約15メートル、立ってもせ
いぜい30メートルだろう。その程度で五畿
内が一と目で見渡せるかどうか。
 作者の剣花坊は、もしかすると、明治45
年に完成した通天閣を大仏の立った姿と見立
てたのかもしれない。現在の通天閣は二代目
だが、高さは100メートル以上で、展望台
から五畿内が一と目で見渡せるかもしれない。


枯野
   2017/9/24 (日) 10:29 by Sakana No.20170924102904

8月23日

・遠山に日の当たりたる枯野かな 虚子

 遠景と近景を対照させて詠んだ客観写生の
秀句として名高い。眼前に広がるのは枯野、
遠くに見えるのは山。その山にだけ日が当た
っているので、枯野は寒々として見える。
 「自句自解」によれば「静寂枯淡の心境を
詠ったものである」という。客観写生を唱道
しながら日本人の伝統的な美意識につながる
主観を詠んでいるのだ。
 ところが、結城昌治『俳句は下手でかまわ
ない』によれば、「私は不勉強なものですか
ら、最近気がついたのですが、蕪村に似たよ
うな句があるんです」という。「遠山に夕日
一すじ時雨哉」だ。「類句といえば類句です
けれども、こういうことは免れないんで・・
・」ともいう。類句は俳諧狂句の宿命らしい。


鶏頭
   2017/8/20 (日) 07:40 by Sakana No.20170820074015

8月20日

・鶏頭の十四五本もありぬべし 子規

 写生句のようで、写生句ではない。病牀六
尺で寝たきりの作者が、庭には鶏頭が十四五
本もあるだろうと想像している。縁に出て庭
を眺めれば何本あるか確認できるのだが、寝
たきりの病人ではそれもままならない。
 「病牀六尺、これがわが世界である。しか
もこの六尺の病牀が余には広過ぎるのである。
僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、
蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事
も出来ない。甚しい時は極端の苦痛に苦しめ
られて五分も一寸も体の動けない事がある」。
 それでも、病牀の外の空間である庭に鶏頭
が十四五本あったという記憶が残っている。
今ごろは鶏頭の赤い花が咲いていることだろ
うと想像を広げてみる。


雪五尺
   2017/8/17 (木) 07:25 by Sakana No.20170817072509

8月17日

・是がまあ終(つひ)の住み処(か)か雪五尺 一茶

 雪が五尺(約2メートル)も積もる豪雪地
帯、信濃北部の北国街道柏原宿は、一茶生
誕の地であり、終の住み処でもあった。
 「是がまあ終の住み処か」とは、どんな感
慨だろう。まあ何と狭い、小さい住み処であ
ることよと慨嘆しているのか、それとも、ま
あなんとかこれだけの住み処を自分のものす
ることができたことよと満足しているのか。
 一茶の生涯をふりかえると、継母との折合
いが悪く、14歳のとき、江戸へ奉公に出て、
苦労を重ねたが、俳諧狂句の世界で名をあげ
た。遺産相続では12年間継母と争った結果、
家屋敷半分と田4〜6反、畑3反歩、山林3ヵ所
を確保し、嫁も貰った。可もなし、不可もな
し、「めでたさもちう位なりおらが春」か。


部屋の広さ
   2017/8/14 (月) 07:13 by Sakana No.20170814071317

8月14日

・起きて見つ寝て見つ部屋の広さかな 千代女(?)

 部屋の広さを詠んだ句として私の記憶の奥
底に残っている。千代女は加賀の国松任の表具
屋の娘。表具屋とはいえ、さすがは加賀百万石
の領内では表具屋の部屋も広いんだろうなと思
っていた。
 ところが、清水昭三『花の俳人 加賀千代
女』を読んでも、なぜかこの句が見当たらな
い。どうやら千代女の作品ではないらしい。
一説によれば、浮橋という遊女の句で、しか
も「起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな」と
いうのが正しい表記だという。
 仕方がないので、千代女作で空間を詠んだ
句を探し、「蝶はゆめの名残わけ入る花野か
な」を見つけた。蚊帳を詠んだ句なら「責め
る蚊をつかみ喰いたき侘寝かな」。


大河
   2017/8/11 (金) 07:56 by Sakana No.20170811075649

8月11日

・五月雨や大河を前に家二軒      蕪村

 孔子川上にありて曰く、「逝(ゆ)く者は
斯(か)くの如きか。昼夜を舎(お)かず」。
鴨長明曰く、「行く川のながれは絶えずして、
しかも本の水にあらず」。いずれも大河を前
にして、此の世の無常迅速を嘆じている。
 先人にうながされて、おくの細道の旅に出
かけた芭蕉は、「五月雨をあつめて早し最上
川」と詠んだ。
 蕪村には無常迅速の観念はとぼしい。五月
雨が降っていて、大河を前に家二軒があると
いう景色をそのまま詠んでいるだけだ。大河
が氾濫して家二軒は流失してしまうかもしれ
ないのに、何の心配もせず、何の対策もとら
ない無能の画家である。ひたすら絵筆をとっ
て、大河の前の家二軒を写生するのみ。


菜の花
   2017/8/8 (火) 08:22 by Sakana No.20170808082234

8月08日

・菜の花や月は東に日は西に     蕪村

 菜の花を眺める。一息ついて、天を仰ぐと、
東の空から月が昇り、西の空に太陽が沈みか
けている。大地の菜の花は動かない。眺めて
いる人間も動かない。空間は<天地人>が位
置を定め、時間は<永遠の今>でとまる。
 作者の蕪村はこの句を詠んだとき、柿本人
麻呂の古歌を念頭に置いていたかもしれない。
「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立
つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ」。
 しかし、「月傾きぬ」という表現には動き
がある。月は沈みかけているのだ。一方、
「炎(かぎろひの立つ)」は、日が昇りかけ
ていることを示す。すると、蕪村の句も月が
沈み、日が昇りかけているのだろうか。動い
ていないように見えて動いている。


いらご崎
   2017/8/5 (土) 05:43 by Sakana No.20170805054305

8月05日

・鷹一つ見付けてうれしいらご崎   芭蕉

 「かれ狂句を好むこと久し。終(つい)に生
涯のはかりごととなす」という芭蕉は貞享4
 (1687) 年 10月、「笈の小文」の旅に出た。
  西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の画、利休
の茶と貫道する風雅をきわめる旅だが、愛す
る杜国 (とこく)との男色の道をきわめるた
めの旅でもあったともいわれる。伊良子岬で
見付けた鷹とは杜国のこと。杜国は米穀商だ
ったが、空米売買の罪で両国追放の身となっ
ていた。そんな罪の鷹を見付けてうれしとい
うのはかなり危ない句ともいえる。
 その200年後、島崎藤村が伊良子岬で
「流れ寄る椰子の実一つ」という流離の詩を
つくった。藤村自身が椰子の実を拾ったわけ
ではなく、友人の柳田国男からきいた話を詩
にしたのだといわれる。


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則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』 長谷部さかな 著
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