則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』

長谷部さかな 著

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   2017/11/20 (月) 06:10 by Sakana No.20171120061016

11月20日

心からしなのの雪に降られけり 一茶

 雪の触覚ないし触感が伝わってくる句。頭や
顔や手足だけでなく、心にも心臓にも脳にも雪
がしみこむようにふれてくる。その雪は信濃の
雪である。
 一茶は信濃北部の柏原宿で生まれた。継母と
の折り合いが悪く、出奔して江戸に出て俳諧師
になったが、39歳のとき、帰省して父の死を
みとり、以後12年間、遺産相続で継母と争い、
文化5年(1808年)末に、ようやく遺産の半分を
貰うことができた。取り分は田4〜6反、畑3反歩、
山林3ヵ所、他に家屋敷半分、世帯道具一式。
 たいした財産ではないが、しがない俳諧師の
暮らしよりはまし。江戸の雪よりも信濃の雪の
ほうが肌にあったのか、「これがまあ終(つひ)
の栖(すみか)か雪五尺」の地で生涯を終えた。



   2017/11/13 (月) 07:23 by Sakana No.20171113072321

11月13日

やれ打つな蠅が手を摺り足を摺る    一茶

  うるさい蠅を叩こうとすると、蠅は手をすり、
 足をすっている。まるで、命だけはお助けくだ
 さいと、哀願しているように見える。可愛そう
 だから、叩くのをやめようという句意だろう。
  一茶には蠅だけでなく、蛙や雀のような小動
 物を詠んだ句が多い。弱者の命にを思いやる、
やさしい性格だったかもしれないが、自分自身
を小動物に投影した感情移入の句ともとれる。
  そのように解釈すると、手をすり足をすって
 いる蠅は一茶である。手足の触覚を感じながら、
 懸命の身振りで「命だけは助けてください」と
哀願しているのだ。おかげで72歳まで長生き
 ができた。もっとも、蠅には褥盤という味を感
じる器官があるという。「手をすり足をする」
 行為は触覚ではなく、味覚のためかもしれない。



   2017/11/6 (月) 06:43 by Sakana No.20171106064337

11月06日

我骨の蒲団にさはる霜夜哉  蕪村

  寒さが骨身にしみるような霜夜を経験したこ
とは私にもあるが、骨が蒲団にさわったことは
一度もない。人間の骨は皮膚につつまれている
ので、たとえ骨皮筋右衛門のようにガリガリに
痩せても、骨が直接、蒲団にさわることはあり
えない。
 したがって、蕪村がこの句であたかも触覚で
あるかのように表現たのは俳諧的誇張である。
客観写生の句ではない。
 とはいえ、触覚が文学的内容の基本成分にな
っているとはいえる。現実にさわらないにして
も、骨が直接、蒲団にさわると言い切ることに
よって霜夜の寒さを誇張して表現しているので
ある。蕪村が単なる客観写生の詩人や郷愁の詩
人ではないことはこの句からもうかがえる。


琵琶
   2017/10/30 (月) 06:29 by Sakana No.20171030062946

10月30日

行く春や重たき琵琶の抱きごヾろ       蕪村

 私は平家琵琶を聴いたことがある。したがっ
て、琵琶がどのような楽器かはわかっているが、
さわったことはなく、弾いたこともない。どん
な抱きごヾろかと問われてもわからないが、ギ
ターのようなものかもしれない。行く春や重た
きギターの抱きごヾろ。
 ギターには軽いものもあれば、重いものもあ
る。重量が同じギターでも、季節によっては軽
く感じたり、重く感じたりする。春も過ぎ行こ
うとする頃は、心理的に物憂い気分になり、ギ
ターを重く感じるかもしれない。
 琵琶は座って弾くのがふつうだと思うが、ギ
ターは立って弾くことが多い。重いギターを抱
き、立ったまま弾き続けると、肩がこる。琵琶
もギターも弾き心あれば抱きごヾろ。


掌に虱這はする
   2017/10/23 (月) 07:54 by Sakana No.20171023075434

10月23日

手のひらに虱這はする花のかげ  芭蕉

 「虱這はする」というと、わざわざ虱を這
わせてやっているという余裕を観じる。しか
も、「花のかげ」とくれば風流だ。花が散っ
て、葉桜の候になれば、「毛虫這はする」に
なるかもしれない。
 しかし、たとえ風流にしても、虱や毛虫を
手のひらに這わせて、その触覚を楽しむとい
う趣味は私にはない。『猿蓑』「市中は」名
残の裏六句を味読することにとどめよう。
 さまざまに品かはりたる恋をして 凡兆
  浮世の果は皆小町なり     芭蕉
 なに故ぞ粥すゝるにも涙ぐみ   去来
   御留守となれば廣き板敷    凡兆
 手のひらに虱這はする花のかげ  芭蕉
  かすみうごかぬ昼のねむたさ  去来


紅の花
   2017/10/16 (月) 06:46 by Sakana No.20171016064603

10月16日

行く末は誰が肌ふれむ紅の花    芭蕉

 「紅の花」は「紅花」、「おくのほそ道」
では陸奥から出羽の国に入った芭蕉が尾花沢
あたりで「まゆはきを俤にして紅粉の花」と
いう句を詠んでいる。当時、最上川流域は紅
花の産地で、主に染料や化粧品の原料として
京都や大坂で珍重されていた。
 まゆはき(眉掃き)は白粉(おしろい)を
付けた後、眉を払う刷毛(はけ)。そのまゆ
はけをおもかげにしているようだ、かの美し
く咲いている紅の花は、という眼前嘱目の句
意だろう。
 それに対して「行く末は誰が肌ふれむ紅の
花」は、いずれ誰かの肌にふれるだろうが、
それは誰か。美人だろうか不美人だろうかな
どと空想、妄想をたくましくさせてくれる。


巨燵
   2017/10/9 (月) 07:25 by Sakana No.20171009072511

10月09日

  慎めや巨燵にて手のさはること  青木春澄

  感覚Fのうち触覚を詠んだ句である。巨燵
 (こたつ)の中で誰かの手をさわるのは慎み
 なさいという句意はよくわかるが、こんな月
 並な教訓じみた作品は駄句にきまっている。
  作者も平凡な俳諧師にちがいない。『俳家
 奇人談』には、「青木春澄は初め重頼の門に
 して、後貞恕の弟子となる」と紹介されてい
 る。「あるひはいふ、頼の門徒に重栄、重方、
 重好、重貞あり。これを四重といふ。その長
たり。澄その列に入らん事を欲す。頼ゆるさ
 ず。澄これを強ふ。ゆゑに破門して貞恕に属
せりと」。
  松江重房は『犬子集』『毛吹草』の著者と
 して知られているが、貞恕の名前は『俳家奇
 人伝』にも見当たらない。


俳諧狂句 第二部 第五類 感覚F(触覚)
   2017/10/5 (木) 07:37 by Sakana No.20171005073754

10月02日

俳諧狂句 第二部(毎週月曜日更新)

第五類 感覚F(触覚)

 『則天去私の文学論』「日本篇 俳諧狂句)第二部で
は、夏目漱石『文学論』で文学的内容の基本成分として
あげられている感覚的要素と情緒的要素の各項目に該当
する俳諧狂句をそれぞれ十句宛選んでコメントを加える
ことにします。

 ・感覚的要素:触覚、温度、味覚、嗅覚、聴覚、視覚
(耀、色、形、運動)。
 ・情緒的要素:恐怖、怒、同感、自己の情(積極的な
 egoと消極的なego)、両生的本能(恋)、複雑情緒
(嫉妬、忠義、忍耐)、その他(笑、涙など)。

 まず最初にとりあげるのは感覚Fのうちの触覚です。
視覚や聴覚に比べれば、文学的でないような印象を与え
ますが、漱石は『文学論』では、沙翁の『オセロー』の
台詞とテニソン『砕けよ、砕けよ、砕けよ』の詩句、
"But O for the touch of a vanish'd hand, 
And the sound of a voice that is still. ---Tennyson. 
Break, break, breakをあげ、「かくの如く簡単にして一
見文学的内容として不相応なるもの却って予想外の勢力
を有することを発見するものあなり」と述べています。

 俳諧狂句第五類 感覚F(触覚)として筆者がとりあ
えず任意に選んだ十句は次の通りです。

慎めや巨燵にて手のさはること     春澄
行く末は誰が肌ふれむ紅の花            芭蕉
手のひらに虱這はする花のかげ      芭蕉
行く春や重たき琵琶の抱き心            蕪村
我骨のふとんにさはる霜夜哉      蕪村
やれ打つな蠅が手を摺り足を摺る    一茶
心からしなのの雪に降られけり     一茶
日のあたる石にさはればつめたさよ   子規
手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ     虚子
飛びついて手を握りたい人ばかり    剣花坊


『俳諧狂句』第四類 感覚F(空間)まとめ
   2017/9/24 (日) 10:45 by Sakana No.20170924104525

『俳諧狂句』まとめ 2017年8月

『俳諧狂句』第四類 感覚F(空間) 

荒海や佐渡に横たふ天の川         芭蕉
鷹一つ見付けてうれしいらご崎          芭蕉
菜の花や月は東に日は西に         蕪村
五月雨や大河を前に家二軒         蕪村
起きて見つ寝て見つ部屋の広さかな     千代女(?)
是がまあ終(つひ)の住み処(か)か雪五尺 一茶
鶏頭の十四五本もありぬべし             子規
遠山に日のあたりたる枯野かな       虚子
大仏が立つと五畿内一と目なり       剣花坊
空たり間たり天然居士、噫          漱石

 感覚Fの時間篇に続き、空間篇の十句をそ
ろえてみた。自分は、今、どこにいて、時間
と空間をどのように感覚し、どのように言葉
で表現するかが問題である。時間と空間は、
あると思えばあるし、ないと思えばない。そ
の実体は天然居士でもわからない。
         (『俳諧狂句』第一部了。
           第二部以降は未定)


空たり間たり天然居士
   2017/9/24 (日) 10:40 by Sakana No.20170924104004

8月29日

・空たり間たり天然居士、噫    漱石

 俳諧狂句のつもりで詠んだのではなく、苦
沙弥先生が親友の曽呂崎こと天然居士のため
に撰した墓碑銘だが、『吾輩は猫である』で
は、「天然居士は空間を研究し、論語を読み、
焼芋を食い、鼻汁を垂らす人である」が原型。
「空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空
たり間たり天然居士、噫」と推敲し、さらに
縮めて、俳諧狂句の形式に近づいてきた。
「なるほど、こりゃあ、いい。天然居士相当
のところだ」と、迷亭も賛成している。天然
居士は、『猫』では曽呂崎という名前になっ
ているが、米山保三郎というモデルがある。
建築家になるつもりでいた漱石に文学を専攻
するようすすめたのは空間居士こと米山保三
郎だったと伝えられている。


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則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』 長谷部さかな 著
 Copyright (C) Sakana Hasebe 2017